故・楳図かずお氏の漫画「14歳」は、チキン・ジョージというニワトリの怪人が登場する壮大なSF作品だ。
神話や幻想の世界においても、ニワトリと人間を掛け合わせたような怪物の伝承が少なからず存在する。
今回はそんな魅力的な「ニワトリ人間」たちについて、解説を行っていく。
1. 天魔羅醯室陀鬼
天魔羅醯室陀鬼(てんまらけいしつだき)は、日本に伝わる病魔である。
岡山県金山寺と愛知県真福寺に伝わる「伝死病種事」にて、その存在が描かれている。
ニワトリの頭を持つ人間のような姿をしており、虎柄の腰巻きを身に着け、手には槌(もしくは斧)を持っているとされる。
この病魔に憑りつかれると、怒りや憎しみといった、負の感情を抱きやすくなるという。
2. にわとりの僧
にわとりの僧は、怨念に憑りつかれてしまった僧侶である。
江戸時代の浮世絵師・岡田玉山(1737~1808年or1812年)の作品「絵本妖怪奇談」において、次のようなエピソードが語られている。
(意訳・要約)
仏教には、生き物を殺してはならない「不殺生戒」というルールがあり、肉食は基本的にご法度だ。
しかし、動物の赤肉はその美味さから、誰もが食いたくてたまらない食材である。とある寺の坊主が、隣の家のニワトリを盗んで殺し、食べてしまった。
その光景をたまたま目撃した者がおり、寺の和尚に報告をしたという。和尚は坊主に「ニワトリを食ったのは本当か」と尋ねたが、坊主はお釈迦様の名のもとに、清廉潔白を訴えるばかりであった。
だがその時、坊主の口からコケコッコーと鳴く声が聞こえ、そしてニワトリの頭がグエーッと顔を出した。
ついでに尻からは、ニワトリの尾のようなものがニョキニョキと這い出てきた。ニワトリの怨念が、罰当たりな坊主を祟ったのだ。
「やはり食っていたではないか!」と和尚は怒り狂い、坊主を罰した。
仏教徒たるもの、肉食の誘惑に負けてはいけないという戒めの為に、この話が創作されたと考えられている。
3. リデルク
リデルク(Lidérc)は、ハンガリーの伝承に登場する怪異である。
黒い雌鶏が一番最初に産んだ卵を、人間が脇の下で温めることで、リデルクは誕生するとされている。
その姿は伝承によって様々だが、宙を舞う炎のニワトリとして表されることが多いそうだ。
リデルクは極めて悪質な妖怪であり、人間に憑りつき、衰弱死するまで精気を吸い取るという。
特に未亡人のような、伴侶を失ったばかりの人間を好んで狙うそうだ。
リデルクはターゲットの家に侵入すると、亡くなった夫の姿へと変身し、妻の元へ赴く。
妻は死んだと思っていた夫が、目の前に現れたことに感動し、涙を流す。
そんな妻の姿を見て、リデルクは心の中で「しめしめ」と邪悪にほくそ笑むのだ。
そして妻を誘惑し情事を重ね、徐々にその生命エネルギーを奪い取っていく。
やがて妻が死ぬと、リデルクは元の炎の姿に戻り、次なるターゲットを見定めに空へ飛び立って行くという。
リデルクの変身能力は一見完璧ではあるが、片足だけはニワトリのままなので、そこで見分けがつくという。
また、白樺の枝を燃やしたり、ニンニクを吊るしておくことでも、リデルクの侵入を防ぐことができるそうだ。
4. アブラクサス
「グノーシス主義」という宗教的思想をご存知であろうか。
簡単に言うならば、「この世界はロクでもないので、グノーシス(知識)を得て、精神的に高みを目指そう」といった思想である。
そんなグノーシス主義にて語られる高次元的存在アルオーン(アイコーン)の一柱が、アブラクサス(Abraxas)である。
グノーシス主義には様々な分派があり、その中のバシレイデース派と呼ばれる宗派の神話に、アブラクサスは登場する。
その姿はニワトリの頭に人間の胴体、手には盾と鞭を持ち、両脚はヘビになっているという、極めて異質なものだ。
ニワトリの頭は「予見・用心深さ・寝ずの番」などを意味し、人間の胴体は「言葉と魂」、ヘビの脚は「精神と理性」を、それぞれ示しているという。
また、盾は「叡智」、鞭は「力」を表しているとされる。
アブラクサスは「偽りの神(ユダヤ教やキリスト教における唯一神)」により生み出された最初の息子であり、我々の住むこの世界を創造したのだという。
神を偽物だと主張するグノーシス主義は、ユダヤ教・キリスト教のような一神教とは相容れず、蛇蝎のごとく嫌われていた。
やがて中世に入ると、アブラクサスは悪魔と見なされるようになった。
フランスの作家・コラン=ド=プランシー(1794~1881年)の「地獄の辞典」には、デーモンとしての姿のアブラクサスが掲載されている。
5. 鳧徯
鳧徯(ふけい)は、中国に伝わる災厄の鳥である。
古代中国の妖怪辞典『山海経』や、明代の書物『事物紺珠』にて、その存在が言及されている。
雄鶏の体に人間の顔を持つ不気味な姿をしており、「フケーフケー」と奇怪な鳴き声を発するそうだ。
この鳴き声が、「鳧徯」という名前の由来になったとされている。
普段は「鹿台山」という山に生息しているが、時折人里に飛んでくることがあったという。
この鳥が目撃されることは、近い将来に戦争が起こる前触れと考えられており、人々に非常に恐れられたそうだ。
人類の歴史は戦乱の歴史である。
今日もどこかで、「フケーフケー」と鳴く鳥の声が響き渡っているのかもしれない。
参考 : 『日本妖怪変化史』『Détails du Aion Abraxas』他
文 / 草の実堂編集部
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